有り難がって、空気を吸え、とかいわれても。
普通にあるし。 それよりも、
大王製紙の元会長のように、ゼニなんかナンボでも、
普通にあるし、とか謂ってみたい。
欲を云えば、きりがない。
米の飯とお天道様は、何処にでも付いてくる。
てのは、日本だけなのだが、
日本の専業農家は、コメの売り上げだけで、生活しているだけではない。農家は大概は、大きな屋敷に住んでいて、家族も多い。それで、60才還暦を過ぎたぐらいの爺様が、農業をしている。現金収入は息子とか、娘が会社勤めなどで稼いでくる。なので日本の景気の方が、生活に与える影響は大きいのだ。
橋本龍太郎が改革を言い出したころから、日本の政治が変になってきた。
政府機関の財政のあり方とか、公務員の働き具合の杜撰さは、謂われてみればその通り。民主党政権になって、「事業仕分け」が、当初ひとびとに歓迎されたところを見ても、働かない公務員とかは、たしかに現実のもの。穀潰しとは彼らのこと。
しかし、公務員制度改革、それは30年も経っても、今もって遅々として進んでいない。バブル崩壊から日本の経済が失速して、官民格差のギャップは、かえって拡大している。日本余剰資本略奪の作戦計画が、橋本龍太郎が語っていた「改革」の真実の姿だった。だから政治家たちの、本当のスポンサーは「公務員制度改革」なんて、端からやる気は無かったのだ。「金融改革」を導入するための、落語で言えば「枕」にすぎない。「足日木の」とくれば、「山」となるように、「公務員制度改革」は、とくれば「金融改革」と成るだけのこと。だから、「事業仕分け」を言い出した民主党は、新たな「金貸しの手先」なのだ。昔の若い衆は、たばこ屋の看板娘に惹かれて、からだに悪いタバコを買った。それで年寄りの選挙人は、むかし若かった蓮舫などに騙された。若い衆のアンチャン、姉ちゃんたちも、キビキビ働く格好いいお姉様と、勘違いさせられた。
山一證券や北海道拓殖銀行が潰された。三菱グループの地方銀行だった、足利銀行も父たる親銀行に、無理無理に追い込まれて、倒産である。国家管理の後は、株屋の野村證券に売り飛ばされた。経済通の間では、「信用創造」とか言うのだが。これ普通の貸し出しのことである。銀行は可笑しなことだが、預かっている預金などの、10倍以上も貸し出しが出来るのだ。
1兆円の預かり預金などがあれば、なんと12兆円余も貸し出しができる。
ふつうに普通の人が考えれば、変だよねと成ってしまうが、ところが欧州の金融の歴史を観ればこれが当たり前。
日本人は額に汗して働いて、
黄金の稲穂でこの国を築き上げてきた。
金融に関わる者達は、1兆円の金貨を預かって、12兆円余も貸し出しをしてきたのだ。是のカラクリは、金貨の代わりに紙幣を流通させることに、巧い具合に成功したから。彼ら金融業者は、金庫に金の現物、金塊が1兆円しかないのに、12兆円余も貸し出しをしてきた。左近尉の金融経済学では、是を1兆円の余剰資本をもって、11兆円余の剰余資本を生み出す。等と言うのだ。カネを貸して、土地とか建物などの不動産、あるいは美術工芸品などを質、つまり担保に取る。『余剰』とはつまり、生産活動で儲けた、余っているカネのこと。ところが衒学の恐ろしく、亦すばらしいところは、『剰余』と漢字をひっくり返してしまうと、『あら不思議』11兆円以上のカネが、何もなかった空間に忽然と現れてしまうのだ。この『余剰』の幻術で生まれた金が、やって来たことの、最高の公共事業が、『戦争』だった。
戦争とも成れば、田地田畑は荒らされる。働き手は殺されるか、あるいは生産の現場から逃げだしてしまう。工場は壊されて、鉄道も破壊される。これで、メデタく生産活動は、徹底的に沈滞化する。それで賃貸していたカネが返せなくなる。
ならば金貸しはどうするか。
質にとって於いた、担保を流す。つまりカネを借りた者から、土地とか建物の権利を取り上げる。父祖伝来の家宝である、書画・骨董を返さない。
戦争は金貸しが、このようにして起こすのだ。
軍隊は国家が持っている。
金貸しは国家権力者に、賄(まいない)をわたして、私兵とする。
これでリビアとかの北アフリカ諸国は、大混乱となった。経済は破壊されて、「カネを借りてコツコツ頑張って、生活設計」をしていた真面目な生産者は、借用証文を突きつけられる。
戦争は金貸しが起こす ポチっ とお願いします。
日本の国旗は日の丸で、昼日中の太陽の下、
額に汗して働くからこうなった。
ところが、国旗に星とかがある、この意味を左近尉が得意の電波をスパークさせて考察を加えるとこうなる。
彼らの仕事は、盗人ばたらき。
闇夜の中、星を見て方角を知り、獲物がある屋敷に忍び込む。
なので彼らは、星を好む。星があるからこそ、闇夜に帆船を走らせることが出来たのだ。
井川・元会長は、秀才だったようだが、この手の「単位」は取らなかったのか。パチンコの出るでないは、簡単に操作ができる。馬だって、その日の勝負は、なんとかの気分次第。カジノの場合は、『 カジノロワイヤル』 を観れば、すぐ解る。小説家が筋書きを書いて、演出家が映画にする。観客を楽しませて、プロデューサーは、にんまりと笑う。手元には観客から巻き上げた、おっと是では表現がよくない、頂戴したお宝がある。
大王製紙の元会長の場合は、しこたまの大金持ちなのだから、彼ひとりの為に、とびっきりの迷作、おっと名作映画が用意されただけのこと。そして最後の幕を下ろすのが、ご存じ進駐軍の私生児、東京の地検・特捜部なのだ。
いつもご厄介になっている、読売新聞の社説によれば、元会長も悪いが、経営陣にも責任があると書いてある。オオッやったねと思ったが、後まで読めば頂けない。社外から監査役を入れろとか提案されている。なになに、創価学会などの、舐め役ばかりではなく、横須賀辺りに屯(たむろ)する、極東米穀軍の提灯もちまで、錠前外しに雇えと言うのかい。
ごまかしは、もう効かないのを新聞も知るべし ポチっ とお願いします。
自由競争は他人に強いて、自分らの「教徒」うちわでは、特別な理論が掟であり、紐帯となる。攻撃対象は伝統的な身分制度、つまり彼らは皇室のありようを、天皇制度と言って攻撃してきた。小沢一郎のように、政権与党の幹事長ともなれば、この「天皇制」の権威を利用する。彼らは伝統的な権威とか、古来から護られてきたしきたりを尊重しない。なので一川防衛相のように、平気で皇室からの招聘をすっぽかしたりもする。非礼を詫びるには、遥か目上の国王に対して、「手紙」等というのはあり得ない。
かなり不敬な云いようで恐縮至極なのだが、国家元首を「生物学的な、ヒト」としか、彼らサヨクは認識出来ていない。生物学的なヒトとしての属性よりも、わが皇室の御門は、『神』としての属性といおうか、絶対的な存在、「国家の不可侵性」そのものなのだ。だから戦前の、現人神のほうが真実を表している。
そもそも、左翼共産主義者にしてみれば、国家とは転覆すべき対象であり、憎むべき敵であった。かれらサヨクは、階級闘争なんて遠の昔に放擲してしまっている。それで極端な精神主義者、その性向のある者は、オウムとか言う究極の反社会集団に、怪しげな魅力を感じてしまうのだろう。いまの日本のように格差が広がる社会では、反社会的な感情を持つものは、ある意味優しくて正常な感覚の持ち主なのだ。それを嘗ての左翼は汲み上げてきた。左右が拮抗して、激しくスパークしてみせれば、日本への侵略者も思わずたじろぐものなのだ。それが野田佳彦のように、ヒダリのはずが、アメちゃんべったりでは、どうしようもない。右側ばかりではなく、自民党が左をもフォローしなければ、日本のタガが外れて、オウム信者ばかりとなる。
自動車や家電の大手組合では、階級闘争を賃上げ闘争に特化した。そして大企業に限って云えば、彼らの給与は公務員並み、あるいは其れ以上を実現している。是で彼らは上層階級入りしたと思っている。なによりも恐るべき現実は、日本国民の大多数が、自分達の年収の半分以下の収入しかないことを、サラリと没却してしまったことである。サヨクが守るべきシステムは、大企業が国家の経済を牛耳ること。なので国内で生産しておきながら、消費税は支払わない。改革主義者の論理によれば、税の中心を消費税にして、所得税は無くしてしまう。つまり主たる税金を、消費税にすると言うことなのだ。なのに輸出業者は、「日本国内では、消費されない商品だ」とかの、屁理屈で消費税を払っていない。あまつさえ中小の下請けが支払ってきた消費税を、輸出のさいに還付させる等という破廉恥さえも行っている。彼らは都合のよい部分だけ、国際共産主義の気分を持ち出して、利用している。ハチャメチャなのが民主党なのだ。
南スーダン派遣を批判=自民・石原氏 【時事】
自民党の石原伸晃幹事長は22日、福岡市で講演し、南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊施設部隊を派遣する政府方針について「(南スーダンはスーダンと)けんかしている。そこに出すというのは明らかにPKO参加5原則違反だ」と述べ、認められないとの考えを示した。
石原氏は「今、日米関係が良くないが、残念ながらこれ(陸自派遣)は日米関係にはこれっぽっちもプラスにならない」と指摘した。(2011/11/22-18:29)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011112200828
自民党の石原伸晃幹事長も、すこしは大人に成ったような。
残念ながら自民党の今の立場は、反対野党なのだ。だから兎に角、政府のやることには、反対せねばならない。野に降りて働く。これが野党に科せられた、おおいなる労働なのだ。だから、働く下々のものの思いを、政治の場に体現させねばならない。
スーダンでは現に、スーダンと南スーダンとの間で、紛争が続いている。南スーダンの難民キャンプに、北側のスーダン政府の飛行機が、爆撃をくわえた。それで、12名の死者がでている。マスコミ用語では、「難民キャンプ」と哀れを誘うべく、かく表現される。しかし是、越境して北のスーダンで工作諜報活動をする、工作員の出撃基地が本態なのだ。前にも書いたが、彼らは星夜に工作をする。
わが自衛隊が現地にゆけば、土木工事などで日中に働く。
これではみすみす、衛星などからのターゲットに、成るために征くようなもの。
ちなみに支那軍は、北側にあるスーダン政府の、味方である。支那とベトナムの戦いでは、米軍が偵察衛星の情報をベトナム側に提供して、支那軍はさんざんにやられた悔しい歴史がある。その仕返しを、自衛隊が受けたのでは、たまらない。
イラクでの先例もある。現地で死んでも、われらが同胞・自衛隊員は、「戦死」扱いがされていない。「自殺」とかワケの判らない「帰国してからの病死」とかにされてしまう。このような境遇の自衛隊諸君を、戦地に派遣するわけにはゆかぬ。
自民党は経団連の賄はもらえない。ならばせいぜい真実を説いて、一般日本人の票を集めねばならぬのだ。自衛隊背広組の票などわずか。制服の自衛隊員は、およそ20万名もいる。その家族や友人・知人まで含めれば、どれほどの数になる。この人々の心の中に、心を豊かにする農作物を作るべし。
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アクセスの記録 2011.11.22(火) 3407 PV 659 IP 706 位 / 1656700ブログ
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