【わが郷】の管理者が大学に入学したのは、
昭和43年の春だった。
佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争は、この年の 1月のことで、まだ受験生だった自分は
テレビで此の画面を、ハラハラしながら見ていた。
まさか、翌年、(昭和44年)1969年11月の佐藤首相訪米阻止闘争に
自分も参加するとは思いもおよばなかった。
この時、自分はレモンが催涙ガスの、毒消しにチョットは役に立つことを知った。
それで、4,000名もの逮捕者が出たそうだが、自分は無事だった。
大きな組織は生きのびたが、弱小セクトは憔悴していた。
全共闘運動は、もうそろそろ終わりで、
そんな学生の焦燥感の、こころの隙間を埋めてくれたのが、
1970年4月に発売された、『圭子の夢は夜ひらく』 だった。
青春は、とうの昔に終わったのか。
それとも肉体は老いても、心はまだまだと頑張らねば……。
とにかく藤 圭子の人生は終わってしまった。
だが、その歌声は、多くの人々の心の中に生きている。
佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争では、左翼過激派が日本人の意地を見せて戦ったのだが、
右翼の諸氏も、「あれは本当は、保守こそが戦わねばならない、戦いだった。」このように言っていた。
40年経っても政治状況は、それほど遷っていない。
彼女の歌声は、おりに触れてよみがえってくる。
そしてその声に肩を叩かれて、もう一歩前に出ようと思う。
62歳で逝くには、まだ早すぎた ポチっ とお願いします。
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藤圭子さん、知人マンションから飛び降り自殺か 【読売】
22日午前7時頃、東京都新宿区西新宿の28階建てマンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)が倒れているのを通行人が発見、110番した。
歌手の藤圭子さんが飛び降り自殺したとみられる
マンション前(22日午後、東京都新宿区で)=川口正峰撮影
藤さんは頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁新宿署はマンション13階の30歳代の知人男性宅から飛び降り自殺したとみている。
同署幹部によると、藤さんはTシャツに短パン姿で、履いていたスリッパの片方が男性宅のベランダに残っていた。男性は在室していたが、飛び降りたことには気付かなかったという。遺書は見つかっていない。現場は、JR新宿駅の北西約1キロの都庁やオフィスビルなどが立ち並ぶ一角。
藤さんは1969年に「新宿の女」で演歌歌手としてデビュー。低音で情念をこめた歌い方で、70年の「圭子の夢は夜ひらく」がヒット。芸能界引退を表明してからは、米国でも長く生活。歌手の宇多田ヒカルさんの母親としても知られる。
(2013年8月23日00時19分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130822-OYT1T00575.htm?from=navr
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