山古志村村長 長島忠美氏は、
新潟県中越地震で被災した、
牛たちを見捨てることはしなかった、
それなりの都合というものが、あったとは思われるが
菅直人政権では、被災した牛たちは、無残にもうち捨てられた。
8月19日 7時15分
新潟県中越地震が起きた際の旧山古志村の村長で、衆議院新潟5区選出の自民党の長島忠美衆議院議員が、18日夜、入院先の病院で亡くなりました。66歳でした。
長島忠美氏は、新潟県の旧山古志村の村長を2期務め、当時の住民が「全村避難」を行った13年前の平成16年の新潟県中越地震では、避難も含め地震からの復旧・復興の指揮に当たりました。
そして平成17年の衆議院選挙で自民党から比例代表の北陸信越ブロックで立候補して初当選し、合わせて4期務める中で復興政務官や復興副大臣などを歴任しました。去年からは自民党新潟県連の会長も務めていました。
関係者によりますと、長島氏は、今月14日に体の不調を訴えたあと、長岡市内の病院で脳卒中と診断され入院していましたが、容体が悪化し、18日夜遅く、亡くなりました。66歳でした。
長島氏の死去に伴う衆議院新潟5区の補欠選挙は、10月10日告示、22日投開票の日程で行われる予定です。
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わが郷には、「ネコカフェ」 と呼んでいたのだが、捨てられ猫たちの「お救い宿」があった。
荒野を建設土建関係の会社が所有していたのだが、その一角に事務所があった。有志がそれぞれに餌を持ち寄り、猫たちはご馳走が来れば、プレハブ事務所の縁の下などから、三々五々出てきては喰っていた。その後は、そのあたりの草原で、仲間達と遊んでいた。
それがいつの間にか、その元空き地には太陽光パネルが、びっしりと敷き詰められていた。
猫たちは、どうした。
オンボロ事務所のプレハブは、撤去されて影も形もない。
近くの一級河川の川原なども探したが、一匹も見あたらなかった。
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猫のお救い宿を、まっさらの更地にして、火事場泥棒。
太陽光発電のパネルを 敷き詰めた。
一体 猫は、何処に行った。
まさかの事、犬を喰う習慣のある、あの手合いのことだ……。
いやな想像が、脳裏をよぎる。
牛馬は勿論のこと、日本人は動物を生きとし生けるもの。生活の中の、仲間。家族のように接してきた。
この優しい心根が深いからこそ、争いは好まない。
しかし、二世、三世になって。
特ア支配層は、いっそう過酷に一般日本人を、遇している。
この政策を、構造改革と言うのだろう。
如何にも日本人らしい、優しい政治家であった。
あまりにも突然の、訃報ではあった。
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