築地は銀座からすぐ近く。
この超一等地を再開発して 大もうけをしたい。
それで東京都のありあまるゼニをつかって、
汚染まみれの豊洲移転を企てた。
政治とはこのマジック詐欺を、民主的な手続きで
公明正大な財政政策だとごまかす、手練手管なのだろう。
自衛隊南スーダン派遣(じえいたいみなみスーダンはけん)は、国連南スーダン共和国ミッション (UNMISS) への、自衛隊法第84条の4第2項第4号及び国際平和協力法に基づく自衛隊の海外派遣。
2011年[編集]
7月8日に国連安保理において、南スーダン独立後の「地域の平和と安全の定着」及び「南スーダン共和国の発展のための環境構築の支援等」を任務とする国連南スーダン共和国ミッション (UNMISS) を設けることを定めた決議第1996号が全会一致で採択された[3]。翌7月9日に南スーダン共和国がスーダン共和国から独立したことを受け、UNMISSが設立された。野田佳彦内閣総理大臣は潘基文国連事務総長と9月21日に会談を行なった。野田首相は国連総会演説において、UNMISSに司令部要員として自衛官を派遣する準備を進めており、施設部隊の派遣の可否は現地調査を行った上で結論を出すと表明した[3]。
9月22日に一川保夫防衛大臣は防衛会議を開催し、司令部要員の派遣準備を指示した[4]。11月1日午前に開かれた閣議において、UNMISSへの陸上自衛隊施設部隊の派遣準備を申し合わせた。午後に開かれた防衛会議で防衛大臣から施設部隊の派遣準備が指示され[5]、さらに11月15日に南スーダンにおける平和維持活動への参加と、その実施計画及び関係政令が閣議決定された[6]。さらに、UNMISS司令部へ自衛官を派遣することが閣議決定される[7]。司令部要員2名(兵站幕僚及び情報幕僚)が11月28日に日本を出発した[8]。12月20日に実施計画が変更され、「南スーダン国際平和協力業務の実施に関する自衛隊行動命令」が発出された[9][10]。
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南スーダンには石油資源が、大いに期待できた。
それで、邪魔なスーダン北部は切り捨てる。
こうして湯田屋は、あの手この手でスーダンを分割した。
戦争好きのゴロツキをたくさん使ったので、その後の南スーダン統治なんぞ上手くゆくはずもない。それで、石油の利権屋は、国連を使ってカネだとか、命までも消耗させる「平和維持」を、各国庶民に押しつけた。
国連とは日本に攻めかかってきた、連合国軍のことである。
その国連には、日本を敵国と定めた、敵国条項がある。
ならば、日本は湯田屋の私兵である国連に協力する謂れなどない。
なれど、このことをあからさまに言い立てれば角が立つ。しかし、ものは云いよう。外交は狡猾なねちっこさで、敵の思惑をのらりくらりとはぐらかすことが寛容だ。しかし、野田政権にこのような高等な外交など、まったくもって出来ることではない。それで、野田豚政権はいとも簡単に、わが自衛隊をアフリカくんだりまで出すこととなった。
いったん自衛隊を出したからには、そうかんたんに撤収は出来ない。
サヨク諸君の云う、『戦争に巻き込まれる。』とは、まさにこの事なのだ。
民進党だとか、その他のサヨク諸政党の戦争観なんぞは、『日本が支那とか朝鮮を侵略した。』とかの侮日のステロタイプの言いぐさぐらいしかない。この侵略の意味を深く考えれば、スーダンの分割は侵略以外の何ものでもない。これを診れば、サヨクの戦争観なんぞは、とてつもなく底が浅い。
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