金融が肥大化して、経済を破壊する。
そもそも金融とは経済循環の、人・物・カネの流れに規律を与えるもの。給与とか報酬を支払い、原料を仕入れ、あるいは出来た商品を売る。これらの決済手段が、紙幣なのだ。給与や仕入れの決済は、ひと月に一度がふつう。ならば余裕をみても、金融の扱うカネはその二倍程度でこと足りる。ところが国際金融市場、ホントは欧米とか日本などの東アジアに、あふれているカネは何京円とも言われるほど、水ぶくれになっている。
大きすぎる金融業の出現は、経済単位の企業を売ったり買ったりが、容易に出来るようになった。最終的には各国政府が金融如きに、いとも易々と買収されてしまう。この政府を陰の賄で、籠絡する過程を「構造改革」と湯田菌らは、騙っている。
民主主義を破壊して、金権でことを済ます。
それには政府の力を弱体化する。
つまり政府の徴税権を蝕む。
その一手が、企業とか高額所得者への、大減税なのだ。政治家も高額所得者なので、この策にいとも簡単に乗せられてきた。自由貿易も関税徴税権への侵害である。これを成されれば、政府はやはり税収を減らして、力が弱まる。かわりに企業は、フローの資金を多く持つことで、政治家への献金とか様々な援助で、芸子として踊らせることが可能になった。
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組織的には金融の中心であるところの、中央銀行が政府の指揮下から遊離している。アメリカが端的な例で、FRBは完全な民間機関であり、米国政府は現実的には干渉できない。政治家はカネの掛かる選挙を強いられて、その選挙費用を銀行とかにネダる。これでは、一定の金融監督権限も骨抜きとなってしまう。金融システムのピラミッド化は、このシステム全体があたかも軍隊組織のように、有機的に作動することを可能にした。市中金融は一般企業融資を止めて、資金回収とストックの役目に特化してきた。証券会社は企業に増資をさせることで、表面上は企業資金調達の手助けを行う。しかし実態は、企業の乗っ取り策の、下地作りである。いざともなれば、「紙幣発行権」を有した、大銀行なりあるいは中央銀行までも繰り出せば、どのような大企業でも、買収の資金など容易に作り出せる。何と言っても銀行は紙幣の印刷機を持っているのだ。
市民が株式を持つことで、企業経営に直接投資をして、経済の一部を所有する。あるいは株主権を行使して、経済に参加する。このような言説は、アタマの足りない、小金持ちを欺すための口説に過ぎない。なんとなれば、銀行や証券金融さえもが持つ、『紙幣の印刷権』の力はあまりにも圧倒的なのだ。やろうと思えば、1兆とか、あるいは10兆円で大手自動車会社を買収する。このようなことも原理理論的には可能なのだ。だがそれが余り行われてこなかったのは、あまりに目立ちすぎるから。
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■ 現象論
間接融資から、直接融資へ。
金融業者つまり市中銀行とかが、融資の責任を回避して、株式投資とか、その他の投機を一般投資家に行わせて、金融取引の責任はすべて、素人に押しつける。